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Minsik HURの自作熱気球 |
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違った日本語があっても理解してください. 掲示板に訪問所感でも書いてください. |
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多くの人々が私にどんなに熱気球に乗るようになったかと問います. 私の初空経験は 1988年軍隊に勤める時でありました. どうして熱気球に乗るようになったのか紹介します. C-130輸送機に乗ってずいぶん長い間飛んだ. 時計がなくて飛行機をいくら乗ったのか分かることができなかった. "降下地域 5分前 " "降下地域 1分前" ジャンプマスターの手信号によって "走って" 信号とともに飛行機両方門で 40人が走った. 誰考えも出なかった. 私の体が飛行機進行方向と反対に飛ぶ感じだった. 落下傘がひろがるのを待ってびょうを叫んだ. |
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1万...... 2万......,3万.......4万........ 傘開検事 上を眺めたら落下傘がひろがった. 生きている。 何秒もならない瞬間にその間の不安と 下を見下ろした. 不思議に世の中が皆私のみたいだった. 空で感じる大地のなごやか. 足の下小さな山山が私が幼い時飛び回って遊んだ村前山のように見えた. 周りを見回した. 一緒に飛びおりた同期生たちが皆落下傘にぶら下げられている. 操縦ラインを取ってこちらあっちの方へ行ったり来たりしている. どなり声も聞こえる. やあ! あちらに行きなさい. 私右側に行くからお前左に街. 落下傘初心者たちは空で衝突しないように叫んで大騷ぎだった. これから着陸準備をしなければならなかった. 地面と近くなったらとても早く落ちるようだった. 風が吹いて来る方向で落下傘を回転させて無事に着陸した. 空旅行が一生趣味になることも分からなかったまま1988年特戦司令部空輸教育大で 6年間の軍隊生活の中で中尉時また空と縁を結ぶようになった. 巨大な風船に全段と生活必需品をぶら下げて北朝鮮に送る部隊の基地場で勤めるようになったのだ. 風向き風俗の観測とがスバルンを飛ばすのが仕事なので何年間空だけ見ながら暮した. 風船に一度乗って見たらと思う気がした. 空と風船に対するあこがれは結局私を熱気球に抜けるようにした.
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自作熱気球 1996年除隊後三星自動車に入社して熱気球同好会を組織して, 中古熱気球を購入しました. 私の熱気球がほしい所望がありました. 1997年三星自動車と日産自動車の技術協力関係で日本にある時Sabu Ichiyoshiさんと一緒に群馬県に飛びに行った事がありました. あの時ヨコハマから来たどの高等学校教師, 学生と飛行をしました. 熱気球を初めて登ってみると紹介して, 自分たちが作った熱気で写真を私に見せてくれました. その人々は熱気球を実際に見たこともなく熱気球を作ったし, 本当の熱気球はどうか見ようと初めて飛行しに来た人々でした. 写真で見た教師と学生の作った熱気球はとても立派でした. その熱気球で 15分ぐらい飛行をしたと言いますね. この人々が作ったら, 私も作ることができる! 自信感を得て私も熱気球を作ると決心しました. |
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設計 外国の熱気球を巻き尺で申し出てコピーして作った事はあっても....... 私が持っている熱気球をそのままコピーして作ったら自作熱気球という意味がなさそうで直接設計に入って行きました. 資料を収集して, 研究に沒入しました. 初めには手で計算をして設計をしたが, 限界を感じました. 何回や計算に計算をしたが, もしや電卓を過ち叩かなかっただろうかと言って不安に思ったりしました.
コンピューターの利用 手での計算は限界を感じてコンピューターで設計を始めました. 退勤の後毎日コンピューターの前に座って設計しました.製作過程でも何回の設計変更が要求されました. いつもコンピューターは迅速で正確に作業ができたし多くの役に立ちました.
部品の購入 熱気球の部品内訳書を作成しておいて部品購入に入って行きました. 何より大変なことが部品購入でした. 何故ならば織物だけてもどの会社で織物を生産するというデータがよくなかったです. 休む日なら 熱気球に適当な織物を捜すために大邱纎維市場や釜山津市場を歩き回りました. 織物製造会社に電話も数百回かけました.
織物の切る 織物を切る前にたくさんためらいました. もし寸法計算が下手だったら数百万ウォンもなる織物をそのまま飛ばすようになったら敢えて布地を切ることができなかったです. 何日を悩む設計瑞相の寸法どおり財団に入って行きました. 会社寮地下で財団作業にしました. 1000メートル位の織物を約 500切れで財団するのなのにいちいち定木にする財団はヒムドンザックアップでした. 財団にだけ 100時間以上が必要となりました.
仕立て
ある日テレビ中古製品を売る広告に中古ミシンを誰が販売すると電話番号が出ますね. 電話をして行って 10万ウォンに中古工業用ミシンを買いました. 裁断して残る布地を持って演習をしました. 仕立てに入って行った裁縫師は総 2万5チォンミト. 仕立てにだけ何月がかかりました. 何回やミシンが故障して修理費だけも.......後にはミシンを直接修理して行って.....
サスペンションケーブル
仕立てだけではなくサスペンションケーブルやスカットなど....コンピューターに設計して製作しました. 費用がかなり入って行きますね.
纎維の検事
人が乗って空に飛ぶ装備だと何より安全が重要だと思いました. FAR 31を根拠で設計をして部品を使いました. 纎維の印章強盗や縫合強盗など纎維試験研究所に依頼してテストをしました. テスト結果は全部大満足でした.
デザイン
サッカーボール模様で設計をしたが, ぜんぶ白色の布地で作ったから黒色五角形 12個と六角形 20個を描かなければならなかったです. (黒色五角形 12個と白六角形 20個を付けて作るには設計能力が不足で白で先に転がる作りました.) 圓柱が 50メートルもなる巨大な纎維にどんなに絵を描かなければならないか心配もなって, サッカーボールの模様をどのようにして描かなければならないか心配が多かったです. サッカーボールを一つ購入して二3ヶ月間帰ればサッカーボールだけ見ました. ある日急に五角形と六角形が目にぱっと入りました.
五角形描く
一邊の長さが 3メートルもなる五角形12個を描き始めました. 一週間を明かしながら描きました.後にはインクにおいのためご飯が食べる事ができないですね.
完成
完成の後の楽しみより熱器具を作るために夜の眠りをそびれながらぶら下げられた過程がもっと大きい喜びでした.
テスト飛行
ソウルの漢江高水敷地みたいな多くの人々が見る所でテスト飛行をしたかったです. 高水敷地管理事務所に問って見たらその所では熱気球を浮かべることができないと言いますね. 99年 5月27日京畿道懸里で遂にテスト飛行をしました. 空に浮かぶことは設計上に欠点がなくて信じていたからそんなに嬉しくはなかったんですが, 願うサッカーボール模様ではなくて心残りのみを残しました. 一週間また作業をしました. 数日後慶南昌原で飛行をしたが, 満足するに値する結果を得ました.
熱気球の登録
安全検事を終えて私の熱気球は書類を準備してソウル地方航空庁に登録したし, S5046 登録番号を受けました.
サッカーボール熱気球の規格
搭乗人員 : 4人 高さ : 25m エンボルロプの幅 : 15.2m デザイン : 五角形 12個, 六角形 20個サッカーボール模様 製作期間 : 1年 (1998年~1999年) 織物 : リップス塔ナイロン 1000m, ウエッビング 1000m 裁縫師長さ : 15,000m |
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